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2012年5月25日 (金)

『中山道』 17/32 (余話し)

 平成15年 2月からスタートした街道ウォーク、その手始めがこの『中山道』でした。

そしてその年の暮れに中間点の「藪原宿」まで到達しました。

 年が変り春爛漫の4月に藪原をスタートして信濃路に踏み入れようと2月下旬に計画を始めました。

 藪原を出ると次宿は「奈良井宿」です。前々回「馬籠」「妻籠」で一緒した「宮ちゃん」夫婦が一緒してくれます。

 この旅は、藪原を出ると直ぐに【鳥居峠】の難関が待ち受けています。そして峠を越えると奈良井宿に入り一泊、翌日は「奈良井」~「贄川宿」~「本山宿」~「洗馬宿」~「塩尻宿」まで歩き、ここで「宮ちゃん」夫婦とお別れ、スローリィー夫婦は旅を続けます「下諏訪宿」「和田宿」~「長久保宿」~「芦田宿」~「望月宿」~「八幡(やはた)宿」~「塩名田(しおなだ)宿」~「岩村田宿」で帰途…との目論見です。

 注 ( 赤字 は宿泊計画)

 先ずは旅の宿の予約です。「奈良井宿」は木曽路と云うより中山道全般を通じてのハイライトです。宿も往時からの旅籠で『越後屋』で、大いに楽しみです。4月7日でOKです。

 ところがです。下諏訪観光協会に宿の斡旋をお願いしようと電話を掛けたのですが何と平成16年のこの時期は『御柱祭』で、この段階で全ての宿泊施設は満杯でした。

Photo               「御柱祭」ホームページの写真を拝借しました

 【青春18切符】の使用期間の制限もあり、やむなく当初計画を変更、塩尻から先の行程を前倒しする事にしました。

 と言うことで、このブログは 『中山道』 17/32 から 20/32 まで が先になります。あしからず… 奈良井編は 21/32 です。 

2012年5月23日 (水)

『中山道』 16/32 (木曽福島~藪原)

 木曽路は山の中、冷え込みも一際厳しいです。『むらちや』さんの用意頂いた寝間が寒くて深夜掛け布団を増やしました。

 この日の行程は、『宮ノ越宿』を経て『藪原宿』の15Kmの距離を歩き中央線で帰宅します。

 一昨日降った雪は北に行くに従い多くなって来るようです。

001       国道19号線の右上の段上が往時の中山道で「福島関所」があります

 国道を逸れて旧道に入ると

001_3                     「手習天神」                

Photo

 やがてこの日の大きな“メモリアル”が『木曽福島宿』から『宮ノ越宿』の間にあります。

001_4              ※ 注 上記説明版、拡大してお読み下さい。

 良く辿り着きました。 6/32 で近江路を抜ける辺りまでは半信半疑でした。結果論ですが この日が 16/32 と言うことは、丁度半分の行程で全距離程の半分を消化する事になりました。意識的に調整したわけではありません、全くの偶然です。更にもう一つの偶然が重なりました。この日の踏了地点の『藪原宿』も中間の宿場です。京からも江戸日本橋からも35番目の宿場です。

Photo_3             【「木曽海道六拾九次之内・宮ノ越」広重画】

 「宮ノ越」は 『木曽義仲』 の出た所です。

001_5                 「義仲・巴像」後方は「義仲館」

  義仲の終焉の地は「近江・粟津ヶ原」です。その生まれ故郷に足を踏み入れている事に不思議な因縁を感じずにいられませんでした。

Img_0710001 001_6 Photo_4             近江「義仲寺」と寺内の「義仲・巴」の塚

001_7                         「JR藪原駅」

Photo_5            【「木曽街道 藪原・鳥居峠硯ノ清水」英泉画】

 今回の旅の感想 猿の群団に襲われる  宮ノ越宿手前で中山道中間点を通過、京都江戸双方から268Km。藪原宿手前の峠でサルの群団の出迎え?

 

2012年5月19日 (土)

『中山道』 15/32 (須原~木曽福島)

 前日、大井宿から中津川宿まで歩きましたが天候が良かったにも関わらず非常に寒い一日でした。

 『須原宿』での一夜を明かした朝はうっすらと雪が積もっていました。12月16日降ってもおかしくはありません。

 今日は『上松(あげまつ)宿』を経て『木曽福島宿』まで二宿間、23Kmのハードなウォーキングになります。

Photo            凍てつく雪道に足をとられます「倉本集落」付近

 木曽川沿いを走る国道19号線と旧道が複雑に出入りするウォーキングです。

Photo_2 

 JR中央線「倉本駅」前の国道にはバス停がありました。乗客はありませんでした。今朝、宿で入れさせて貰った暑い湯で「コーヒー」を入れ、休憩をさせて頂きました。このバス停は檜の間伐材で造られています。壁に『雨の日 風の日 雪の日 とても助かります』と貼り紙がしてあります。

 Photo_4            木曽川に掛かる「諸原橋」青い空に真昼の月が…

Photo_3             【「木曽海道六拾九次の内・上ヶ松」広重画】

1                       「木曽の八景」の内、三景

       上 『小野の滝』  中 『寝覚ノ床』 下 『木曽の桟(かけはし)』 

 「木曽の八景」… 近江八景をなぞらえて作られたものだそうです。(興味のある方は上記「木曽の八景」をクリックして下さい。リンクしてあります)

Photo_5                   『御嶽山』遥拝所から見る

 遥拝所には石造りの鳥居があります。西から来る旅人で「御嶽山」に登らない者は、ここで遥拝して「御嶽山参り」としたそうです。

 街道旅、今回が初めての2泊3日のたびです。その二泊目『木曽福島宿』は目の前です。

Photo_6             【「木曽街道六拾九次の内・福し満」広重画】

 「木曽福島宿」…徳川家康は木曽山中の軍事的経済的重要性からここを幕府の直轄領として、関が原の戦で功績のあった木曽氏の遺臣山村氏を木曽代官に登用して山林の管理ならびに福島の関所番に当たらせた。広重の絵にも福島関所が描かれ、東海道の箱根、新居、中山道の碓氷と並ぶ四大関所の一つとして、他関と同様に「入鉄砲と出女」を厳しく取り締まったそうです。

 この日の宿は、ブログ左袖にあります“リンク集”【むらちや】さんです。

 旅の感想  雪の凍てつく道をヨチヨチ歩きウォーク  木曽古道は中山道とは違うの?

2012年5月17日 (木)

『中山道』 14/32 (大井~中津川)

 今回は、12・13/32 で飛ばした分のウォークです。「大井宿」から「中津川宿」の一宿間です。それでも10Kmの旅です。

Photo                      「大井宿・本陣」

 この日のハイライトは宿間にある『甚平坂』です。

Photo_2

                      『甚平坂三景』 

 上記三枚の写真は甚平坂の写真です。(上)甚平坂を上り詰め、北を望むと木曽山脈の上から『御嶽山』が白い姿を見せていました。(中)厳しい坂を登るスローリィーの女房です。(下)広重の宿場図絵【大井宿】が石碑となって峠の頂に置かれています。

 この「甚平坂」明治天皇行幸の際、頂上部を2m削って馬車を通し易くしたという難所です。

Photo_3            【「木曽海道六拾九次之内・中津川」広重画】

 ところが広重さん、何を思ったかこの中津川の絵をもう一枚書いています。

2             【「木曽海道六拾九次之内・中津川」広重画】

 この雨の絵は、現存する数が少ない為珍重されているといいます。いわば『お宝』でしょうか?

 この日の踏了後は、中津川から電車に乗って 13/32 で踏了した「須原宿」まで行き宿泊、翌日からの旅に備えました。

 旅の感想 「甚平坂」から雪の御嶽山が見えた … 木曽の山並が素晴らしい。

 

2012年5月15日 (火)

『中山道』 13/32 (妻籠~須原)

 賑やかな四人連れの旅の一夜が明けました。

 申し遅れましたが、今回と前回の旅の紹介に使用した写真は宮ちゃん撮影もしくは宮ちゃんのカメラでの撮影が多く含まれています。

2                    「妻籠宿・民宿大亀石」

001               「民宿・大亀石」の前にある『水車小屋』

 妻籠宿を出て次宿の「三留野(みどの)宿 」まで6Kmと短い。三留野宿が近付いてくると視界が開け木曽川沿いに出ます。

5          上 和合集落から見る「木曽川」 下 「木曽川畔」で休憩

Photo             【「木曽海道六拾九次之内・三渡野」広重画】

6              「JR野尻駅」前で休憩、「喫茶・宮ちゃん」

 「三留野宿」と「野尻宿」間は10Kmあります。妻籠を出発して既に16Km、野尻駅に到着が正午に少し前、ところがここへ至るまで、食堂はおろかコンビ二(この当時はコンビ二も少ない)すらありません。何とか野尻駅付近に小さなパン屋を見つけて食糧補給。「喫茶・宮ちゃん」の開店となった分けです。

Photo_2             【「木曽路駅 野尻 伊奈川橋遠景」英泉画

 「野尻宿」から「須原宿」までの道のりは7Kmです。今日のトータルは23Km頑張りましょう。次々と変る絶景に疲れも感じません。

3               上 「伊奈川橋」 下 「原集落」付近

7               須原宿直前の『木曽の名刹・定勝寺』

001_2                                   日暮れ時『須原宿』に到着

Photo_3              【「木曽海道六拾九次之内・須原」広重画

 気心知れた四人旅も “アッ!” と言う間に終りました。

 ところが、JR須原駅からの帰りの車中で、こんな話が纏まりました。

 「『奈良井宿』も歩きたいなァー」とは宮ちゃん夫婦です。「行こう!行こう!」はスローリィー夫婦でした。

 旅の感想  昨日とは一転ひもじい旅 … JR野尻駅前でカジッた、パンの味は忘れられません?

 

2012年5月14日 (月)

『中山道』 12/32 (中津川~妻籠)

 “旅は道連れ世は情け”と云う格言があります。

旅は一人より二人、二人より三人……と、旅の楽しさが倍増します。

 四人組の一人「宮ちゃん」がスローリィー夫婦の街道歩きを知り『中山道の馬籠・妻籠』は一緒したいとの申し出を受け大歓迎!急遽計画を変更して一泊二日の予定で上記の宿場をメインとした中津川~須原宿までの街道旅コースを立てました。

 前回の 11/32 で終了した「大井宿」から「中津川宿」の一宿区間は 14/32 で埋めることにします。

 平成15年11月12日10時30分、JR中津川駅を起点にこの日の宿泊地、「妻籠宿」に向け出発です。

4            上 「中津川宿」にある高札場での「宮ちゃん」夫婦

            下 「尾張藩白木改番所跡碑」前のスローリィー夫婦

  『白木改(しらきあらため)番所』… 尾張藩直轄の番所で木曽五木(ごぼく:ひのき、さわら、ねずこ、あすなろ、こうやまき)や檜細工の無断流出を厳重に取り締まった。

 この日は三宿、16、5Kmのウォーキングです。先ずは「落合宿」です。スタートから4Kmで着きます。美濃路(岐阜県)最後の宿場です。

Photo              【「木曽海道六拾九次之内・落合」広重画】

Photo_2

           上 「恵那山」を遠望 下  「落合橋」(別名「下桁橋」)

001                       「落合の石畳」

  「落合の石畳」… 旧中山道の十曲峠にある。鬱蒼とした林道の急坂で、石畳が全長840mに渡って復元されています。          

 十曲峠の急坂を喘ぎながら上り詰めると漸く着きました、美濃(岐阜県)と木曽(信濃・長野県)との国境です。中山道の旅三度目の国境(京・近江、近江・美濃に続く)です。

1       上 「国境碑」 下 同箇所にある 藤村揮毫「是より北 木曽路」の碑

 中山道のハイライトとも言うべき『木曽路十一宿』が始まります。

 その第一宿目の【馬籠宿】です。

Photo_3             【「木曽街道・馬籠驛 峠ヨリ遠望之圖」英泉画】

 「馬籠宿」は坂にある宿場です。急な坂道に石垣を築いて平地とし、その上に家を築いたといわれます。

Photo          上 石垣の上にある「民家」 下 宿場外れの「陣場」

Photo_3                 現在「藤村記念館」の馬籠本陣跡

 島崎藤村の生家です。

001                  初めて食した馬籠名物「栗強飯」

 私達が旅した頃、ここ「馬籠宿」は長野県木曽郡山口村に属していました。ですから木曽十一宿の南端に存在していたのです。ところが平成17年2月の越県合併により岐阜県中津川市に編入されてしまいました。街道ウォーク愛好家はこの変更を今もって認めては居りません。

 「馬籠宿」と「妻籠宿」の宿間には『馬籠峠』が行く手を阻みます。馬籠から標高差200mを登り 妻籠へは標高差300mを下ります。

2             上 「水車塚」 下 「一石栃白木改番所跡」

1             「馬籠峠(標高790m)」  「峠の茶屋」

001_2       「妻籠宿」までの「大妻籠」スローリィー【快心のショット】です

 そして夕闇せまる頃、「妻籠宿」着です。

Photo_4              【「木曽海道六拾九次之内・妻籠」広重画】

 旅の感想

  「宮ちゃん」夫婦との楽しいウォーク … 馬籠宿の「栗強飯」馬籠峠の「御幣餅」が印象に…

2012年5月 8日 (火)

『中山道』 11/32 (細久手~大井)

 久方振りに『中山道』 ?/32 に戻って来ました。

 右欄に掲載される【最近の記事】にもこのタイトルは姿を消しています。もし宜しければ同じ右欄の【カテゴリ】の『中山道』をクリックして見て下さい。『中山道』 ?/32 が 1/32から 10/32 まで全て出て来ます。念のため…

 江戸時代、尾張藩の定宿だった「大黒屋」での一夜を過ごした私達は、大女将の見送りを受けながら出発しました。

0021                  築後、約160年になる『大黒屋』

 「大黒屋」さんのホームページは左欄の【リンク集】に掲載してますのでご覧下さい。都度更新されて面白いホームページです。

 「細久手宿」の次の宿場は「大湫(おおくて)宿」です。

 この間には石畳で有名な『琵琶峠』があります。出発前から楽しみにしていた『峠』越えでした。ところがガイド書にも注意喚起されていた道を間違い東方の入口(西から云えば出口)に出てしまいました。云わば「不通過」です。

Photo                    『琵琶峠』東方の入口

 何故この峠に拘ったかと云えば、標高が540mあり中山道美濃路の最高地点と言うこと、そしてこの石畳の峠道が明治以降、長らく埋もれていたものが昭和45年になって発見され、現在の姿に復元されたもので400年前そのままの姿で伝わるとガイド書に紹介されています。

Photo_2                 「烏帽子岩」と「母衣(ほろ)岩」

 そして、「大湫宿」に着きます。

Photo_3              【「木曽街道六拾九次之内・大久手」広重画】

 大湫宿を出ると次宿の「大井宿」まで14Kmと長くその上『十三峠』と呼ばれるように峠が折り重なるように厳しい街道ウォークです。

 このような長くて厳しい街道歩きにも思わず微笑みたくなるようなユニークなものがあります。

001                      『尻冷やし地蔵』 

 せせらぎがあって、地蔵が尻を冷やしているように見えるから?どうかは分りませんが?

001_2                「首なし地蔵」

『ある時、二人連れの武士が中山道を旅していたが、この地蔵の立っている場所でつい昼寝をしてしまった。一人が目覚めると仲間の首がない。びっくりしたその男は、脇に立つ地蔵に、「仲間が襲われたのに黙っていたのか」と怒りをぶつけて、地蔵の首を切り落としてしまった。』と言うお話が、立て看板に書いてありました。

Photo_4

                【「木曽街道六拾九次之内・大井」広重画】

 この回の20Km、距離はスローリィー夫婦の平均値ですが流石に多くの峠を越えて行く旅は苦しいものでした。

 この時の旅の後の感想は

 『十三峠に挑む』  「多くの峠を越すも琵琶峠不通過が何とも悔しい!」

  と書いています。

この感想文過去に遡って記します。 

 

2012年4月30日 (月)

『七里○○』様々

 旅を続けていると面白いものに遭遇します。今回取り上げるのは地名でしょうか?それとも景勝地でしょうか?

 順番は現在に近いものから紹介しましょう。

 タイトルに『七里○○』とありますが、当然距離を言い現しています。

 先ずは今年の3月15日・16日、甲州街道で通過した『七里岩』からです。

 山梨県の韮崎市から始まったこの『七里岩』は長野県との県境まで続きました。乱暴な計算ですが並行して走るJR中央線の韮崎駅から信濃境駅までの距離は31、2Kmです。

Photo 

 韮崎駅付近の「平和観音」から始まる『七里岩』は甲州街道(国道20号線)沿いにあります。

Img_4842001                   国道すれすれに迫る『七里岩』

Img_4858001                                      不思議な穴が開いている

 ウィキペディアによると、八ヶ岳泥流と呼ばれる火砕流が形成した台地で、南側には釜無川、東側には塩川が流れ、それぞれ侵食崖を形成している。川沿いに連なる10mから40mの断崖で国道20号線からみられる。

 南北の長さが30Km(約7里)にも及ぶので、七里岩という美称が付けられたとされる。台地の形が舌状であり「韮」の葉に似ているので、その先端部のある地域を「韮崎」として、韮崎市の地名発祥のひとつになったとされる。と書かれています。

 さらにこの台上にあるのがJR中央線の駅、「長坂」「小淵沢」で「韮崎」を過ぎればこの台地を登ることになる。

2                    釜無川やその支流

Img_4870001              『七里岩』沿いの集落とその中腹を走る道路?

Img_5081001         長野県との県境に架かる「国境橋」付近で『七里岩』は終る

 次の『七里○○』は平成22年7月18日、9月18日に訪れた「熊野古道・伊勢路」の『七里御浜』です。

 熊野古道も終盤になって熊野灘に面した直線コースを歩きました。私達が辿った熊野古道・伊勢路は大小合わせて18もの峠越えをする難コースでした。その最後の峠である「松本峠」からこの『七里御浜』が遠望できるのと同時に下れば「七里」の浜歩きが始まります。

Photo_2             「松本峠」から『七里御浜』を望む。下は展望台の看板

                      注   説明版、写真などクリックして下さい(拡大して見られます)

Img_2209001          往時はこうして浜を歩いたのでしょうか?とても歩けません!

Img_2212001                     御浜にある「獅子岩」

 ここ『七里御浜』もJR紀勢線の最寄り駅から換算してみましょう。「熊野市駅」から「新宮駅」まで約22、6Kmです。

Img_2214001_2

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 ウィキぺディアには、『七里御浜』は日本の渚百選、日本の白砂青松百選、21世紀に残したい日本の自然百選に選ばれている。と紹介されています。

2_2             JR阿田和駅付近、道の駅「パーク七里御浜」から 

 さて今ひとつの『七里○○』は東海道を旅している時に廻って来ました。

 古くなりますが平成19年3月31日の事です。 この日は知立宿(ちりゅう・愛知県知立市)を出発して有松絞りで有名な鳴海宿(なるみ・名古屋市緑区)を経て熱田神宮のある宮宿(みや・名古屋市熱田区)に至ります。伊勢湾に面した宿場です。

 ウィキぺディアの紹介を借りましょう。

 七里の渡しは東海道における唯一の海上路で、1601年(慶長6年)の東海道制定の際に定められた。七里の渡しの名称は、移動距離が7里であったことに由来する。船によって移動し、所要時間は約4時間であった。「桑名の渡し」、「熱田の渡し」、「宮の渡し」などとも言った。(「桑名の渡し」は三重県側の渡し場をいう。)

1_4                ウィキぺディアの写真配信を借用

1363646                     渡し場跡にある「時の鐘」

1363650_2 1363648_2

13636521363649_2  

 一方桑名宿(くわな・三重県桑名市)側の渡し場は、同年10月7日に訪れました。

Photo_3  この鳥居は「伊勢の国一の鳥居」で伊勢神宮に向って立てられたもので伊勢の国の東の玄関口に位置付けられているといわれます。

1_5                  「桑名宿」の揖斐川と桑名城跡

1323268            安藤広重画「東海道五拾参次之内・桑名・七里渡口」  

 「東海道五十三次を歩く」で紹介された桑名の項には…桑名の町は江戸時代には元禄十四年(1701)と享保四年(1719)の二度の大火に見舞われ、城下町はほとんど焼失した。さらに明治維新の戦いで、桑名城も破壊しつくされた。再び、太平洋戦争の戦火に遭う。その上昭和34年に、伊勢湾台風の被害をも被ってしまう。現在では、鳥居に密着するようにビルが立ち並び、伊勢湾も、広い地域が埋め立てられて、広重が描く風情はもう何処にもない。と書かれています。

 これからの旅にも『七里○○』にめぐり合う事もあるかも知れません?楽しみにしながら続けて行きます。

 

            

 

 

2012年4月25日 (水)

『海津大崎の桜』ウォーク のつづき

 海津大崎の突端を回りこむように水際を進むと今では使われていない生簀(いけす)があります。

Img_5606002           むかし漁師「信ちゃん」の説明に皆感心しきり…一人を除いて?

 少し行った所に伝説の地があります。(説明版・クリックで拡大)

7Img_5610001             「(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ」 どうも信じてない様子

 そしてこの日のハイライト「マキノ」側から海津大崎への入口に達します。

Img_5614001

 スタート時、3~5分咲きだった桜が南北の差はあるとはいえ4時間の間にほぼ満開に近い状態です。皆さんこの桜を目にして「凄~い!」

Img_5613001              沢山の無粋な車をカットしたらこんな絵に…

 桜を満喫するのはここまででした。この日の翌々日の「中日新聞」の一面にこんな写真が掲載されました。

001 『琵琶湖岸を淡いピンクに染める海津大崎の桜並木=17日、滋賀県高島市で、ヘリ「あさづる」から』と紹介されていました。

 県道557号線を離れて海津湊です。

Img_5618001                昔の街道だったのでしょうか?古民家

 そして民家のあいだ間から海津大崎方面を振り返ると

Img_5619001                      見事な“桜”街道です

Img_5620001           「早よー!早よー写して!」「逃げへんちゅうのに~」

8                     こんな遺跡が?

Img_5621001 Img_5634001

 こんな遺構もありました。

Img_5628001             「海津迎賓館」どんな方を御留したのでしょうか?

9

Img_5622001                  酒造元「竹生嶋」歴史を感じます

Img_5646001                   「JRマキノ駅」到着です

 約5時間半を要して「JRマキノ駅」に午後4時40分に着きました。

 心配した天候も『花曇り』と言いますか暑くも無く風も爽やかで良いウォーキングが楽しめました。皆さんご苦労様でした。次回の「四人組」ウォーキングは何処にしましょうか?楽しみにしていましょう。

                 

2012年4月23日 (月)

『海津大崎の桜』ウォーク

 今年の桜前線は幾らか遅れたようです。ご近所の桜も学校の入学式に間に合わずに残念でした。

 そんな桜ですが、『海津大崎の桜』は県下の桜前線より一週間は遅く開花を迎えます。

 平成18年4月17日~18日、スローリィー夫婦は「琵琶湖一周ウォーク」で木之本~菅浦(泊)~近江今津の街道ウォークで『海津大崎の桜』を見ています。何時か機会があればと秘かに暖めていた企画です。

 このブログでもご紹介した「広重も見た『近江八景』を歩こう」の間にも度々云っていたのですが来(今)春は『海津大崎』を歩くで…と。

 「四人組」計8人のスケジュール調整が難航を極め、4月16日に決定しました。「いくらか早いのでは…」連日新聞等の“桜前線”の欄を見ては「早く咲け、早く開け…」と気を揉んでいました。漸く前日(15日)の新聞には“咲き始め”とあり、この時点でスローリィーの予測“5分咲き”程度の信憑性が濃厚になりました。もう一つの心配は天気です。「月に叢雲(むらくも)、花には嵐」と言い伝えられています。

 今日の集合場所は湖西線の「永原駅」です。

 10時56分、思いの外混み合った電車を降りれば「ここまで立ったまま…」とメンバーの弁、車内は我々同年配の人達が多く、海津大崎を挟む「マキノ駅」と「永原駅」とに申し合わしたように降車されました。

Img_5502001                       「永原駅」に集合

Img_5503001                      「サアー、出発で~す」

Img_0070_3           早速休憩です。昼には時間が掛かるので一寸小腹を…

 Img_5505001         「風邪引きさん?」「いえ!花粉症?」横を流れる「大浦川」

Img_5507001              田圃では作付準備作業中、後ろは湖西線

Img_5508001                         路傍の水仙

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 約30分程で海津大崎北端「大浦」に着きます。早速桜並木が続いています。

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 湖岸を走るのは県道557号線です、歩道はありません。所々にこのような遊歩道が造られています。走る車の危険を逃れて少しの間もこちらを歩きます。

 桜はスローリィーの予測通り“3~5分咲き”と云った所でしょうか?

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 県道沿いにはこんな風景も広がります。

4_2                左には琵琶湖が、右には檜の木立が…

 12時を回りました。弁当を広げる場所を選定しながら歩きます。今日の弁当は何時か頂いた六甲の『縦走弁当』です。このメンバーで行った六甲山を越えて有馬に宿泊した時に頂いたものです。「宮ちゃん」が今回も調達してくれました。

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                    今年の「縦走弁当」           

005             平成20年文字通り【六甲山縦走時】の「縦走弁当」

Photo_3 お弁当に奥様方手作りの「筍の煮物」「煮卵」等、お喋りのご馳走まで相俟って賑やかです。この時ばかりは頭上の桜は意識にはありませんでした。

Img_0098                      昼食後の集合写真

Img_5548001 Img_0101                何処か「かるがも」の遠足のような?

  午後1時20分頃には中間地点にある「二本松水泳場」に到着します。トイレ休憩です。

この地点の少し前、6年前に歩いた時の思い出に印象に残るものがありました。そして今回もと皆さんに言っていました。ホテルの入口の【芝桜】です。

Photo_4                    平成16年撮影のものです

 今回この景色はなく、何も植えられなくて上の方の茶色の植え込みも延び放題…どうしてしまったのでしょうか?営業すら不明です。

5                    桜を愛でる『信ちゃん』

 二本松水泳場から数分行くと「長浜市」と「高島市」との市境です。

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 午後2時過ぎ小さな波打ち際を見つけて恒例の【コヒータイム】です。

Img_0110 Img_5585         今回は「信ちゃん宅」のバーナーも加わって待ち時間の短縮

Img_5586001               老木に若木も加わり世代交代も視野に…

120416_142123                   「宮ちゃん」の携帯写真

 長さ100m未満のトンネルを数箇所通過します。徐行してくれるとは謂えやはり不安。

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 幾つかのトンネルを抜けると『大崎寺』の登り口に出ます。

120416_143733Img_5595001                      『大崎観音寺』

Img_5593001               後ろには「北湖」が望めているのですが?

 この大崎観音のある辺りが海津大崎半島の南端になります。半島を回りこみ海津湊まで2Km程は水辺を歩きます。

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 4組の夫婦、同じ構図です。何故?それは真ん中の表札の文字にその意味があります。(クリックして確かめて)

少々疲れました。続きは次回にします。

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